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にぎわう界隈…伊藤忍
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にぎわう界隈 1 なぜ金門島に来たのか
前書き
「P3ってどういう意味なんですか?」と聞かれることがある。88年にはそれは明らかだった。だってその準備事務所は東長寺新伽藍建設のためのプレハブ3階にあったから。実は単に住所の一部だったのだ。っていう説明でどうでしょ?
P3は東長寺の地下空間を展示拠点として活動を始めたが、99年にギャラリーを閉じてからはあまり対外的に名前が出すことがなくなり、私も「ウェブサイトをリニューアルします!」と言ってからはや、数年の歳月が流れてしまった。やることは山ほどあるのだがじっと手を見ることも多くてなかなか取りかかれなかったけれど、あれこれと検討はしていたので足掛け5年の大型自主企画だ。今年春になってようやく実際的な作業に着手したものの、やってきたことの資料を見て写真を選び文章を書いていたら、本棚整理と同じでひとつひとつのイベントを懐かしく思い出したりして余計なことに精を出し、予定以上に時間がかかってしまった。デザインしてくれた小阪淳さんにはずいぶんとご迷惑をおかけした。ついでにスナップなども引っ張り出して、最初は「若かったなぁ、みんな」と面白かったのだが、ふと気づけば今の自分はあの頃の芹沢高志よりもずいぶん年上じゃないか。なぜか腹がたつ。いや、誰のせいでもないですよ、年ばかりはね。
そういえばあの頃普通に中国人だった蔡國強氏も、今ではすっかり一見してかっこいい国際的・国民的現代芸術家になった。このコラムでは物理的あるいは心理的に近い距離にあるひとたちの活動を紹介していきたい。まず第1回目は蔡さんが仕掛け人兼ディレクターを務め、記念すべき9月11日にオープンした中台二国展、「台湾・金門島トーチカ芸術館
18の個展」で始めようと思う。
「なぜ金門島に行かないのですか?」って言われてもね…
「なせ金門島に来たのか?」 空港を出て市街に向かう道中、道路沿いに並ぶ旗の文字は来訪者にそう問い掛けていた。台北市内では逆に「なぜ金門島に行くのか?」だ。行きがかり上ツアコンになってしまった私は「来ないわけには行かないじゃないですか!」と思ったが、さて、はるばる日本から「金門トーチカ芸術館観覧ツアー」に参加した37名の方々の反応はどういうものだったろうか。日本では特に中台の近現代史に詳しい人でもないかぎり、世代が若くなるほどこれといった印象を持たない。一団の年齢幅は60歳はあったし職種もさまざまだったので、それぞれの背景に相応した答えを持ったにちがいない。軍事と政治と自然と華僑文化を要素とする歴史の大鍋にぐつぐつ煮られながらも、なんとか美味い味を出してやろう、というこの島の意気込みを感じ取ったひともいただろうか。
91年に「原初火球」を開催したとき、彼はメインの作品以外にたくさんのアイデアを持っており「金門島トーチカをラブホテルにする」という案もその中にあった。金門島は地理的には2キロしか離れていない中国福建省に属していながら2度の大決戦を経て政治的には台湾の島として守られることとなり、92年に軍事管制が解かれるまでは最前線に位置付けられていた。台湾にとっては勝利と防衛の象徴、中国にとっては屈辱的敗北を喫した場所なのだ。危険はかなり少なくなったとはいえ、軍事紛争がすっかり途絶えて久しい今年7月にも弾薬庫が原因不明の大爆発を起こした。幸い怪我人はなかったと聞いたが、厦門に向いた美しいベージュ色の砂浜にも未だ対人地雷が埋まったままだ。
悲惨な歴史のジレンマを背景に、残されたトーチカ群と軍事施設をギャラリー空間に転用していく試みとして行われたこの展覧会には、未来に対する希望と明るい兆しが満ちていた。中台紛争と確執のイコンを取り入れた作品がいくつかあったが、それらももはや中国人アーティストが参加しても国から深刻なお咎めのない展覧会、という平和の枠内の事柄であって、この島に砲弾が落ちる心配がすでに消滅したことを物語っていたように思う。
とはいえ、中国側からのいわずもがなの抵抗はあった。オープニングに予定されていた曾力の演劇作品が中止を余儀なくされたのは、京劇俳優たちの出国許可を出し渋ったためだったそうだ。金門島は屈辱を思い出させる場所だから、俳優もアーティストも出してやらないもんね、替わりができる者はいないでしょ、という仕打ちは平和裏に出来る精一杯の嫌がらせだったのかもしれない。
展示はといえば、美術家や建築家の作品はある意味見当がつきやすかったが、異分野の才能を持つ芸術家たちの仕事が却って新鮮だった。トーチカという特殊な舞台装置を見事に作品化した映画監督の蔡明亮、子供がトーチカ芸術館批評を書いて持ってくると引き換えにアート関連本を貸し出してくれる図書室を設置した、キュレーターの費大為。作詞家の姚謙が設置した風通しのよい木陰のカラオケテントでは、美空ひばりの「川の流れのように」を台湾語で熱唱する女性がいた。きっとそのうち地元のひとたちで賑わう場所になるだろう。
もっとも異色といえるのはアカデミー賞音楽賞受賞作曲家の譚盾、ではなく台湾生まれのエロアイドル、インリンかもしれない。日本からの一行がパフォーマンスでの最前列を占拠していた。皆、一様に鼻の下が伸びていたのはほほえましかったが、台湾のアート関係者で彼女のことを知る人はほとんどいないらしい。予定では二人の俳優がそれぞれ毛沢東と蒋介石の制服を着て鎖のつながった首輪をつけ、鞭打たれながらベッドにもつれ込むというものだったが、俳優たちは台北を襲った豪雨のために飛行機に乗れずキャンセル、という発表がなされ、パフォーマンスはハンガーにかけられた制服相手に行う運びとなった。豪雨と洪水は事実だが、軍隊からの要請を受けての変更だった可能性も否定できない。彼女の作品については事前にもかなりの文句があったと聞いている。
台湾と中国を機軸にしながらも蔡の意図は9.11にかけて明白に世界を向いている。今、他ではない金門島という場所で、この人選で行っていることに、一々意味があるのでは。来年2005年1月10日まで開催しているので、興味を持っていただいた方は、ぜひ台湾観光のついでにでも見に行っていただきたいと願う。この文化的試みで国際的な耳目を集める場所になることができたなら、せめてこの島がふたたび戦場になる可能性は減るだろう。希望が芽生えたのならば、それには行為で応えたいと思う。
日本語 http://p3.org/kinmon/(開催前情報)
英語 http://www.caiguoqiang.com/bmoca/(開催前情報)
中文・英語 http://bmoca.kinmen.gov.tw/(開催情報、交通他)
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