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3月11日からのいわき
宍戸  博(ししど ひろし)

東日本大震災の当日から、突然全ての日常生活が途切れました。
楽しみにしていた小学校6年生の子供の卒業式は放射能漏れのため延期、会社は建物の破損と断水により2週間の休業、半年前から参加してきたシェイクスピア「から騒ぎ」公演は、劇場が避難所になったため中止、スーパーマーケットは放射能汚染を恐れたトラックがいわきに入らず閉店、車は精油所や荷揚げする港が津波で壊れてガソリンが品切れで乗れなくなりました。人間の営みは、災害によりこうも簡単に途切れるのだなと唖然としました。

いわき市は、「地震」と「津波」そして「放射能」3つの災害が絡まった被害を受けています。
震災から1週間は、生き続けることだけで精一杯でした。飲料水の確保、開いていたスーパーマーケットでの買い出し、自宅にある食料品の確認。2日目頃から開いている店がなくなり、自給自足の生活が1週間ほど続きました。救援物資が出回っていましたが、確保に時間がかかり大変でした。10リットル程度のの飲料水を得るためや、わずかな食料の配給のために数時間並ぶのは当たり前でした。現代社会では災害により物流が止まると、とたんに多くの人間が餓えの危機に直面することを身を持って実証しました。

震災から時間が経つにつれ、福島第一原子力発電所が危機的な状況と報道され始めました。私の回りでも多くの人達が自主避難しました。ただ私はいわきを離れませんでした。放射能が漏れている状況は知っていました。
しかし、いわき市内の放射能濃度は、ずっと人体に影響がない値だったからです。もし避難が必要な時は政府が指示してくれる、そんな楽観的に思っていました。事故から一ヶ月が過ぎいわき市民は落ちつきを取り戻し、自分たちの仕事を再開し始めています。報道を見ると、被害を受けやすいいわき市内の住民より、安全な所に住んでいる東京や海外の人達の方が、放射能を怖がっているように感じます。
私は、放射能汚染よりも、震災による影響で、自分たちの仕事を失うことが怖いです。自分たちの工場は、南ドイツの企業へも製品を収めています。地震により工場が被害を受けましたが、お客様に迷惑をかけないよう復旧に努力しています。自分たちが仕事を継続することで、いわき市に税金や従業員へ給与を支払われ、これらのお金により地域が活性化します。私たちは、自分たちの仕事をすることでいわきに貢献したいです。

私は津波の被害を自分の目で見てきました。被害が宮城県、岩手県より小さいのであまり報道されないのですが、いわき市の被害も大きく約300人が亡くなっています。
「津波」、南ドイツの人達には、耳慣れない言葉でしょう。日本語がそのままドイツ語にもなっている、日本で多く発生する自然災害です。地震による海底地形の変化により、海の水位が上下し、陸に多量の海水が洪水のように進入してきます。海全体の水位が上がるため、広い範囲が一度に被害を受けるのが特徴です。

いわき市を含む、東日本の太平洋岸は、この津波により大きな被害を受けました。いわき市は海に面していて、約60km海岸があります。海岸には、平坦な土地が多く広がっています。山が多い日本では、住宅や農業に利用できる貴重な土地です。いわき市も海岸沿いにいくつもの町がありました。この町にも5〜10mの津波が押し寄せました。たくさんの家が跡形もなく流されがれきの山になったり、1階の天井まで届く床上浸水をとなり泥まみれになっています。

いわき市民は、少しづつ震災の被害を復旧させています。遠い海外の方からの震災復旧への応援を見聞きすると、心が暖まります。これからも福島県といわき市を応援して下さい。
江尻暁子 ひろしししど
けいこたかだ けいすけしまざき
もといこばやし のぶおますだ
ともみちひるた ゆきこみはら