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三原由起子(みはら ゆきこ)

南ドイツ新聞へのメッセージをお送りします。
ドイツへというより、私の思いになってしまいましたが、故郷を半永久的に失ったものとしてのメッセージとして、伝えられたらと思います。
思いは全部伝えられませんが、現時点での私の精一杯です。
どうぞよろしくお願いします。

福島第一原発10km圏内の浪江町出身の私は、東電の隠蔽体質や原発ジプシーのことなど、
中学時代の頃から考え続けてきました。
原子力発電所がたくさんの雇用を生み出したのは事実ですが、そこから、他の価値観での教育が進まなくなった部分が大きいと私は考えています。
「原発関係で働けば、生活が安泰だ。」と、いうだけで、原発関係の職につく人もたくさんいました。
教師すらも「高校出て就職したいなら工業高校に行ったほうが、原発関係の就職が有利」
などと、言っていました。
私は中学生ながら、「どうして先生は危険なことを勧めるのだろう。」と、疑問に思っていました。(もちろん、中には原発ジプシーの話をしてくれた先生もいました。)

そうして、多くの人が原発関係で働くようになりました。
「原発の雇用がある。」という安心感から、それ以上のことを考えなくなってしまったように。

もちろんいろんな事情があり、原発で働かなくてはならない人もいますし、みんなが私と同じ価値観のわけはないのですが、もっと選択肢を考えられるような教育がされていれば、
ひとりひとりが、違った人生を送っていたのかもしれないと考えます。
それは、震災前からずっと考えていたことであり、機会があれば、人にも話してきたことでもあります。

福島第一・第二原子力発電所は東京電力のための発電所であり、その大きな電力が永久的に続くと思っていたからこそ、都会では過剰なイルミネーションやネオンがどんどん増えていきました。
オール電化だってそうです。
そして、福島第一原子力発電所が機能しなくなった今、都会では節電を求められています。

「福島は何もなくてつまらない。」と、言っていた頃が、今では遠い昔のようです。
「何もない=自然の豊かさであり」豊かな自然が取り柄だった福島県のすばらしさをも奪われてしまいました。
今は名称が変わりましたが、ソーシャルネットワークのコミュニティですら、「福島県浜通りは中途半端すぎて死ぬ」と、地元民が自虐的になるくらい、震災前の浜通りは、 自然のすばらしさを当たり前に思っていて、なかなか発展しない浜通りに憤りを感じていたくらいだったと思います。
でも、その自然がかけがえのないものであったことに、今頃気付いてしまった私たち。
人間は愚かだと思います。
でも、人間は変わることができる。
だからこそ、広い価値観を持って、同じことをくりかえさないようにしたい。
心からそう思います。

私にも原発関係で働く友人もいるし、今までプライドを持って、一生懸命働いてきた原発関係の方々、気分を害したらごめんなさい。
でも、今こそ、原発に依存して生きていくことを辞めるべきだと、私個人は思っています。
世界は広い。原発だけが人生じゃないよ。

私は何十年も実家の浪江町に帰ることができないことは覚悟しています。

原子力発電の代償は無限大だと思います。

いま声を上げねばならん ふるさとを失うわれの生きがいとして/三原由起子
「歌壇」2011年6月号掲載作品
江尻暁子 ひろしししど
けいこたかだ けいすけしまざき
もといこばやし のぶおますだ
ともみちひるた ゆきこみはら